【両腕がない】まこだぉのQOL向上を考えるブログ☆★

特殊な自分だからこそできることを発信していきます!!

【特別】を貫き通す。障害があっても後悔のない人生を送るために。

こんにちは。まこだぉです。

 

「障害者だから努力する」

という記事↓↓を以前書きました。

www.makodao.com

そしてこの記事の最後で、

「障害があるからこそあえて生きにくい生き方を選ぶ」

といった内容を書きましたが、今回は僕が「なぜそんな生き方を選ぶのか」について書いていきたいと思います。

 

 

お金がないゆえのハングリーさ

お金持ちへの対抗心

なぜ僕がいばらの道を進むことを好むのか。それは僕自身の障害や性格による部分も大きくあると思いますが、それと同じくらい家庭環境も大きく関与していると思います。

はっきり言ってしまうと、僕の家はまったく裕福ではありませんでした

特に僕が学生だった頃は、母が毎晩頭を抱えるほどで、家計の苦しさはなかなか大変だったものです。

ここではあまり言うべきことではないので具体的には書きませんが、一番の要因は父にありました。簡単に言ってしまうと「収入と生活のバランスを一切考えない」人間でした。そのおかげで母や僕はずっと我慢を強いられていた訳ですが…。

なので僕は習い事をしたことがありません。もちろん塾にも行ったことがありません(体験でほんの少しだけ訪れたことはありますが)。

ですがその分、塾に通っている奴に勉強で負けたくないという思いが強くありました。現に高校時代は勉強を投げ出した(笑)3年生の春までずっと学年で1番でしたし、それもあって「塾に行ってる奴らは金の無駄遣いをしているだけ」と内心馬鹿にしていたものです。まぁただの嫉妬心と天狗になっていただけなんですけどね。笑

 

学費と家計に消えていったお金

お金はなかったものの、僕の将来を考えると大学には進学しておいた方が良いという周囲の判断により、家への後ろめたさをひしひしと感じながらも、僕は障害のある自分でも家から通える範囲の、かつ学費が安い大阪の某国公立大学に進学しました

ただ安いとは言っても毎年50万近くの学費が生じるので、家庭教師のアルバイトをして自らの学費を稼ぎつつ、余った分は家に入れるという、それはそれは苦学生のような学生生活を過ごしておりました。笑


そして大学を卒業して社会人になってからも、給料の約半分を家に入れる日々が続いていました。「自分が好きに使っていいのは、何もかもひっくるめて月に2万まで!」と勝手に決めて毎日を過ごしていたのですが…学生時代といい社会人になってからといい、自分が稼いだお金を、自分をかわいがったこともないクソ親父の収入と浪費のために家につぎ込んでいたと思うと無性に腹が立ちますね(笑)。ただすべてを総合しての「家計」なので、自分がお金を入れることで少しでも母親の苦悩が軽減されるなら…との思いだけでそういった日々を過ごしていました。

 

障害があっても「自分が稼ぐ」という使命感

ただ、上記のような日々を過ごしているうちに、自分の中の疑問を抑えきれなくなっていったんです。

「なんで家族を大事にしない、自分のことを息子とも思っていないような親父のために自分の財産を費やさんとあかんのやろ」

「なんでオカンもこんなに苦しまんとあかんのやろ」

「このままの生活を続けていって、将来何が残るんやろう」

と。


他にもここに書ききれないくらい、その内容だけで3記事は軽く書けてしまいそうなくらいあるのですが、この上の疑問も相まって「おれが(父親を除く)家族を養っていく」と決めた僕は、数年前に母と妹を連れ出して家を出て、新たな生活をスタートさせたんです。

ですが、そうなってくると当然、今まで以上に僕が稼がないといけなくなってくる

想定していた人生より早く自らが「大黒柱」になってしまったわけです。笑

今の生活のため。自分の将来のため。そして母の老後のため。

「お金を稼ぐ」明確な理由が、そして今までよりもずっと「意味」のある理由が今の僕にはあるんです。それは同時に大きなプレッシャーと負担を自分に与えることにもなりましたが。

 

「障害者」としての甘えは許されない

こうなってしまった以上、

「僕は障害者だから働けません」

「健常者よりもお金を稼ぐことができません」

と言えなくなってしまいました。どんな理由があっても言い訳ができない

とは言え元から「障害」を言い訳をする気もなければ、「誰よりも成功してやる」という気持ちが強かったので、そこに「責任」が加わっただけなんですけどね。


ですが今になって思うことは、苦労させられた父への恨みと同時に、「裕福な家庭に育っていなくて逆に良かったな」という皮肉な感謝の想いです。

もし金銭面で何一つ不自由のない生活をしていたら。

もし恵まれた家庭環境で努力する、苦労する必要のない人生を歩んでいたら。

色々思うことはあったにせよ、今の僕にはなっていなかったかもしれません

自らの障害を言い訳にし、嫌なこと・つらいことから逃げ出し、親のすねをかじり続けて生き続け、「障害」というマイナスだけが残り続ける人生を歩んでいたかもしれません。

もし実際にそうなっていれば、それはそれで幸せだったかもしれません。ただ、今の僕にとってそのような生き方は「自らが最も嫌う生き方」なんです。こう考えると、身体面だけでなくそれ以外にも大変なことが多い人生ではありましたが、「生へのハングリーさ」を養えた経験や体験は、障害者としての自分にとっては一つの大きな財産となりえたのかな、とも思います。

挑戦し続ける自分を表した写真

 

 

「社会的弱者」にはなりません

障害を「武器」にせよ

とまぁ複雑な事情をあれこれ書いてきましたが、重度障害を抱えながらお金を稼ぐことは簡単ではありません健康な心身を持つ方の何倍・何十倍の覚悟とエネルギー、そして能力と運が必要になってくると感じています。

なおかつ、一般の方々と同じように生きている、仕事をしているだけでは「普通に」成功することさえ難しいんだな、ということを日々実感しています。

だからこそ「特別」を突き詰めていくことが重要なんだと思います。

「障害」ってマイナスなものです。これまでに何度も書いてきましたが。

「普通」の人が「普通」にできることができない。だから「障害」なんです。人と見た目や能力がまったく違うから「障害」なんです。

ですがこの「違い」は時に武器ともなり得ます人と異なる視点や経験を持つ人間が強みを発揮する分野だってたくさんあるわけです。ということは、当然その分野で生きていくことが最も賢い選択になってくる。つまり、

「どうせ人と違うんだったらとことん違っちゃえよ。普通の人と同じことをしても普通になれないんなら、他の人には真似できないような、自分の障害を“強み”として活用できる特別な道を歩いちゃえよ」

というのが僕の持論です。

そして僕は今、この「特別な道」を歩むための準備をしている状態です。

 

アンチ平凡

やっぱり僕は「普通」や「平凡」が嫌いなんです。

自らの存在理由を証明するためにも、お金を稼ぐためにも、そして真っ当に生きていくためにも、何か一つでも飛び抜けていたい

それは何度も言うように、僕自身が「普通」ではないからなんですよね。

このブログをご覧になられているみなさんの中にも、ほんとに色んな方がいらっしゃると思います。僕と同じように、何かしら問題を抱えておられる方もきっとたくさんいらっしゃるだろうと思います。

みなさんは、毎日をのんびりと、穏やかに過ごしたいですか?

できるだけ「普通」に近い形で生きていたいですか?

僕は自分がそうやって生きていくことが許せないんです。

とはいえ本音を言ってしまうと、「穏やか」に、そして「普通」に生きることに憧れを抱いているんですけどね。笑

それでも僕が「普通」を嫌うのは、僕がそれを求めちゃうと、なおかつそれで良しとしちゃうと、「なんか損してるよなぁ」と感じてしまうからなんです。

何でかわからないけれども、僕はこの身体で生まれてきて、めちゃくちゃ制限がある中で、他の人と同じように「普通」に生きていくことができない

そのくせ命が尽きてしまう時は、他の人とまったく同じように、平等に、「普通」死んでいく

もう平等なのか不平等なのかわかりません。笑

一方で「普通」に生まれてきて、一般的な制限の中で「普通」に生きて死んでいく人がたくさんいる。

僕はある意味生まれ始めからつまづいているのに、それで「普通」「平凡」を求めていたら

「他の人より絶対人生損するよな」

「そもそもこんなにできないことだらけやのに、普通に生きるなんか無理よな」

と考えちゃうんです。

 

障害に付加価値を

何もせずただただ一日を過ごしていくと、それこそ障害がマイナスでしかなくなる。僕はそう思います。

口酸っぱく言いますが、「障害」自体はマイナスです。そして「障害がある」という事実もマイナスです。

だからこそ、何もしないで障害をマイナスのままに留めるんじゃなくて、そこに何か付加価値を与えてやりたいんです。

そうしないと、本当に僕は「ただのかわいそうな障害者」に成り果ててしまう気がするんです。

人にそう思われるのはもちろん嫌です。ですがそれ以上に自分自身にそう思ってしまうのはもっと嫌です。もはや生き地獄です。

自らの障害に甘んじて、楽をして生きていくことも可能です。自分自身のことだけを考えて良いなら、特段チャレンジもせず努力もせず生きていったっていいでしょう。

でも僕にはそれは耐えられないんです。自分の生きていく価値が見出せなくなるんです。

そしてそうならないためにも特別を究め、挑戦できることには挑戦し続け、継続して努力をしていくしかない、と感じている今日この頃です。

 

 

根拠はなくてもポジティブであれ!

希望がないなら生み出せばいい

僕自身に障害があるため、ここまでずっと障害を軸にお話を進めてきましたが、なにも障害に限った話ではありません誰しもに当てはまる普遍的な内容だと思っています。

それ自体がマイナスのものであっても、そこから派生するすべてがマイナスだなんてありえないと思います。

きっと、マイナスの中にも光は隠れているはずなんです。そうじゃないと救いがない。無慈悲すぎる。

万が一そこに光がなくても。

光を見つけ出せないとしても。


それならそれで、無理やりにでも生み出してしまえばいいんです。

たとえそこに価値はないとしても、自分の中に一つでもプラスを生み出せたのなら、そこからどんどん希望が生まれてくると思います。少なくとも僕はそう信じて生きています。

このどうしようもないうっとうしい障害(笑)を、何とかプラスのものに、何かしらの希望に変えてやる。

確固たる自我が芽生えて約20年、浮き沈みこそありますが、僕はずっと「信念」として抱き続けています

 

挑戦できることは幸せなこと

あえてストレートに書きますが、この世界には何かに取り組みたくてもそれすら難しい方がたくさんいます。それは決して、その人たちの「甘え」ではありません。物理的に、精神的に、経済的に、社会的に…できないことなんてたくさんあります。

「この世には不可能なことなんて一つもない!チャレンジしない奴が悪いんだ!」

とか何とか薄っぺらいことを言う人間がたくさんいますが、僕はそういうの大っ嫌いです。

「それはお前が恵まれてるだけやからな!」

と声を大にして言いたい。もっと現実を見ろと言いたい。

でも、比較的多くの方には、たとえ小さなことからでも何かしらにチャレンジできる環境、能力が備わっていることもまた事実だと思います。

「どうせ自分には何もできない」

「努力?そんなしんどいことしたくない」

「もっといい生活はしたいけど、頑張るのは嫌」


僕はこれまでこういった方々を何人も見てきました。

別に何かにチャレンジしようがしまいが、そして何かに努力しようがしまいが、そんなのはその人の勝手ですし、こちらが口を挟むことでもありません。

でも、今の自分の境遇・生活に不平や不満、文句ばかり言うのなら

「何か一つでも頑張ってみろよ」

「何か一つでも覚悟を決めて犠牲にしてみろよ」

と言いたくはなります。

だって取り組める力や可能性があるんですから。

僕からすれば「もったいないなぁ、いっぱい選択肢があるのに」と思います。

それと同時に「チャレンジできる環境にあるだけであなたは恵まれているのになぁ」とも思います。

自ら考えて、行動して、努力して、継続して。

そうしないとチャンスはつかめないと思います。

逆に言えば、そうするだけでチャンスは無限に訪れるとも思います。

 

ポジティブ思考の重要性

「障害自体はマイナスなもの」

こう言い続けてきたため、読者のみなさんからすると僕は「ネガティブ思考」の人間だと思われているかもしれません。

確かに僕はストレスに弱い、神経質、繊細、常に何か考えてしまうなど、普段は何かとネガティブ人間なのですが…

僕の奥の奥の奥の奥…地球で言うとマントルに該当するくらいの「核」の部分は恐ろしくポジティブなんです(^O^)/笑

絶対に成功する!もし失敗しても次の成功につながる!

何でかわからないんですが、不思議とそう思えちゃうんです。根拠なんて1mmもないのに。笑

それでもやっぱり「障害なんてクソくらえ」ですよ、本当に。

でもどれだけ悲観的に考えたとしても、死ぬまでついてきますからね、こいつは。

だったら利用するしかない。障害に振り回されるくらいなら僕はこいつを利用してやります。

 

後悔しないための自己肯定

「もし自分に障害がなく、普通の身体だったらどんな人生やったんやろう」

とよく考えることがあるという内容を、以前に以下↓↓の記事で書きました。

www.makodao.com

これでいて僕は自分の運動神経にはめちゃくちゃ自信がある(実際の運動「能力」ではなく「神経」の話ですよ!)ので、

「プロ野球選手にでもなってバリバリのスター選手やったんやろなぁ(*‘ω‘*)」

とか毎日アホみたいなことばかり想像しています。笑


でも実際はどうなのかなぁ、とも。

皮肉にも今のこの身体だからこそ身についたものもたくさんあるんでしょう。

上でも書いたように、もし僕が「健常者」だったら、どうしようもないクソ野郎だったかもしれません(今でも十分クソ野郎ですけど)。

何にも努力しない、勉強もしない、人の気持ちも考えない、仕事もしない…そんな人間だった可能性も大いにあるわけです。

経験も、人脈も、学歴も、さらに給料も。いまよりずっと低いものになっていたかもしれません。

そう考えると、まだまだ自分を認めるつもりはないですし、僕の努力なんて正直まだまだちっぽけなものだとも思いますが、それでも「ある程度は」頑張ってきた自分を素直に認めてやってもいいのかなと、歳を重ねた今ならそう思えるようになりました。

もちろん肯定したくない自分もいっぱいありますよ。もっと頑張れよ!甘えるな!と思う自分もたくさんいます。

俗に言う「障害受容」というやつでしょうか。僕はこの言葉も大嫌いなんですが、それでも自分の障害も含めて、認められる部分は認められるようになった。我ながら成長したなぁと思います。

自分自身を認めてあげない限り、後悔のない人生を送ることはできないですよね。


みなさんもぜひ、自分のほんの一部でもいいので、労われる部分は労わってやってくださいね。

他者に認められる、評価されることも重要ではありますが、最後は自分で自分を認めてあげること。ここに尽きると思いますから。

自分自身の褒めるべき部分は褒める。反省すべき部分は反省する。叱るべき部分は叱る。

好きと嫌いが混在している自分くらいがちょうどいいのかな、と思います。

 

 

長々と書いてきましたが、僕はこれからもオンリーワンの人生を歩み続けていきたいと思います。そしてそこで感じたこと、経験したことなどを、社会に還元していくことが現状考えられるベストな生き方だと思っています。

みなさんもみなさん自身が考えられるベストな人生を突き進んでくださいね。

 

 

長文であるにもかかわらず、最後までお読みいただきありがとうございました(`・ω・´)!